国内産の良質な天草を厳選してつくる太洋の寒天 丹誠をこめてお客様へお届けします



ものづくりものづくり寒天の事いろいろ寒天の事いろいろ海女さんの天草漁海女さんの天草漁製品紹介製品紹介会社概要会社概要お問い合わせお問い合わせHOMEHOME

健康のこと健康のこと歴史を辿る江戸時代の寒天菓子江戸時代の寒天菓子うつわの話うつわの話     寒天のこといろいろ

ニッポンが誇る食材、寒天。

歴史を辿る 寒天の起源と歩み

今から三百三十余年前の明暦年間、徳川四代将軍家綱の頃、薩摩藩主島津大隈守が、江戸へ参勤交代の途次、山城国(京都府)伏見の駅御駕籠町美濃屋太郎左衛門方に一泊しました。同家では膳部の一味として心太を供しましたが、時あたかも厳寒の季節の中、心太の残片を戸外に棄てられたものが凍結し、そのまま日を経て軽くふわふわした干物のようなものとなりました。太郎左衛門はこれを不思議に思い、試みに溶解してみると、従来のところてんより白く透明で、ほとんど海藻の臭気のない美味のものが得られたとのことです。これが寒天の製造法発明の糸口であって、その後同家においては、しばしばこれを製造販売し、また客膳に供してましたが、いまだ寒天の名称はなく「ところてんの乾物」といわれていました。なお、寒天の起源の年に関しては、ここにあげた説のほか、正保四年十一月説、万治元年、元禄年間説などとまちまちであって一致していません。寒天の名称の由来については、承応三年(一六五四)日本に帰化して山城国宇治の里に黄檗宗万福寺を開いた高僧隠元が、これを試食して「仏家の食用として清浄之に勝るものなし」とその味を賞賛し、「寒天」と命名したと伝えられています。また商い物として寒天の名前が最も早く使用されているのは、元禄四年(一六九一)定めの「萬口銭覚」であるといわれており、これは大阪天満市場における乾物取引の際の乾物扱い口銭(売買の仲介をした手数料)を書いたもので、昆布・椎茸・氷蒟蒻その他干物二八品のなかに、寒天が記載されており、五歩口銭となっています。このように元禄初期にはすでに天満市場の乾物品として出ていたものの、その数量や品質改良の度合いなどは明らかになっていませんが、その歴史は古く、日本で生まれた特産品として現代も愛され続けています。

心太の由来

心太は昔から中国において製造され食用に供されていたもので、「瓊脂」とよばれていました。その製法が中国からわが国へ伝えられ、後にわが国で寒天の製造法を発明するに至ったのです。『和名抄』(約千年余前のわが国最初の漢和辞典)では天草を凝海草といい、「俗ニ用フ心太二字ヲ云フ古々呂布止(こころぶと)」と記してあり、『楊氏漢語抄』には大凝菜の文字が散見しています。また『延喜式』(約千年余前の平安時代初期の朝廷の年中儀式や制度などを記す)では凝草と名づけ、上総(千葉県)より凝海草、阿波(徳島県)より凝海菜を朝廷に貢献したことが記録されています。さらに平安京(現京都)の中東やしきの下に心太みせと称するものがあって、心太を販売していたことが知られるので、今から一千年余も前に、すでにテングサ類から心太をつくって食用とし、商品として販売していたことがわかります。このように心太の名称については初め「凝る」意味で「ココロブト」といい、文字も心太と書いたのが、いつしか心太を「ココロタイ」と読み、さらに「ココロテン」「トコロテン」にまで転化して来たものといわれています。天草を晒して白くしたものを煮ると、とろとろになる。これを麻袋などで漉して箱の中などで凝結させたものが心太であって、半透明の美しいものです。これを適当な大きさに切って「テン突き」で突き出し、醤油や酢などをかけて夏の清涼食品とする。心太は近世以降、夏にふさわしい景物として俳句などにもよく登場しています。

詩人が唱う 心太 ところてん逆しまに銀河三千尺 蕪村

寒天 蜜豆の寒天の稜の涼しさよ 山口青邨

職人本「人倫訓蒙図彙」浮世絵に描かれている寒天屋さん

職人本「人倫訓蒙図彙」写真

 
 
元禄三年に出版された職人本「人倫訓蒙図彙」に
寒天屋などの甘味処が描かれています。
寒天をどのように菓子にしていたかは詳しく
わかませんがもしかしたら、このような和菓子が
だされていたのかも知れません。

[人倫訓蒙図彙] 7巻. [7] 著者蒔絵師源三郎[他]
出版年月日元禄3 [1690]より引用

引用・参考文献

寒天の起源と歩み
・信州寒天業発達史 / 矢崎 孟伯/著 / 銀河書房 , 1993.3 ( 銀河グラフィック選書 ; 5 ) 2 寒天の起源とその伝承より参考

心太の由来
・信州寒天業発達史 / 矢崎 孟伯/著 / 銀河書房 , 1993.3 ( 銀河グラフィック選書 ; 5 ) 1 心太の由来より参考

職人本「人倫訓蒙図彙」
・出典:[人倫訓蒙図彙] 7巻. [7] 著者蒔絵師源三郎[他] 出版年月日元禄3 [1690]より引用

「丁寧」を積み重ねる